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Woods Hole留学記〜後半戦

鍋島 寛志
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ある日の実験シーン

 Marine Biological Laboratory (MBL) でのFrontier in Reproduction (FIR) の6週間のコースもようやく、後半戦に入りましたので、前半戦に引き続き、報告したいと思います。4週目は、性腺の発生と、胎盤の解剖がメインでした。まだ配偶子の話はほとんど出てきませんが、トランスジェニックマウス作製のトレーニングで、ようやくマイクロマニピュレーターを使う講習が出てきました。本領発揮と行きたいところですが、長らく大学を離れていた自分としては、マニピュレーターとも久しぶりのご対面です。周りは、Ph.D.を取るか取らないかというバリバリの若手研究者ですから、ハンディは否めません。まぁ、競争では無いし、ノルマも無いので皆のんびりトレーニングしていましたが。5週目、6週目でようやくIVFやICSIの話が出てきました。Confocal laser microscopyを使って、ウニ卵受精時のカルシウムウェーブを見たり、微分位相差顕微鏡を使ったTime lapse imagingを撮影したり、少し我々にもなじみのある実験が出てきます。しかも、オリンパス、ニコン、ツァイスの三社が張り合って最新鋭の器械を持ってきてデモをしているので、その性能は驚くばかりで、世の中の進歩を実感した日々でした。ただ、IVFや、ICSIの単純な実験はほとんどなく、マニピュレーターを使うと言っても、nuclear transferを用いた、マウスのクローンや、ウシのクローンの作製トレーニングなど、かなり応用編の実験がほとんどです。留学記の前半戦にも書きましたが、Reproductive Scienceという概念の包含する範囲はとても広く、いわゆる生殖医療技術は、そのほんの一部分にすぎないことを再度実感させられました。


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Jean Dan memorial symposium

 ところで、意外なことに最後の2週間はさながらJapan sectionという感じでした。まず、fertilityの分野は日本人研究者の貢献がとても大きく、Dr. Yanagimachiや、Dr. Wakayamaなどの名前が何回も連呼されたことや、東北大農学部の佐藤英明先生のところからマサチューセッツ大に留学に来ているDr. Wakaiが、今回、TAとして参加してマイクロマニピュレーションの指導をしていた、ということがあげられますが、大きな理由は別にあります。実は、今年は、Jane Clark Dan(團ジーン)という女性科学者の生誕100年にあたり、FIRの講義の一環として、記念シンポジウムが行われました。彼女は米国で生まれ育った科学者ですが、大学院生の時にMBLに夏期講習に参加、その際に日本から留学していたKatsuma Dan (團勝磨、MBLではKatyと呼ばれています)という日本人科学者と知り合って、後に結婚し、その後の人生を日本で送っています。余談ですが、Katyは、音楽家の團伊玖磨の叔父にあたり、戦前の三井財団の総帥だった男爵家・團琢磨の次男で、後で書きますが、日本とMBLとの大きな架け橋になった人物です。折角の機会ですので、MBLと日本との有名な逸話について書きたいと思います。
  KatyとJeanは、MBLで知り合い1937年に結婚、その後日本に来て、神奈川県の三崎臨海実験所で研究を続けていました。第二次大戦が終戦した際に、研究所が戦争中に特殊潜航艇の基地として使われていたため、研究所は米軍に接収されることになり、そこを立ち去る時、彼は入り口に有名な張り紙をしていきます。

『君たちが東海岸から来たなら、Woods Holeを知っているだろう…ここはそのような場所の一つだ…戦争の道具を壊すことはいい、だが、研究設備は日本の学生たちのために残してくれ。我々はまた科学の家に帰ってくるのだから。最後に残るものより』

署名はなく、ただ、“The last one to go”とのみ書いてあるこの張り紙は、文を読んだ将校によってWoods Holeに送られ、Times誌でも大きく取り上げられました。MBLの研究者たちには、その文調からすぐにKatyの書いたものと分かり、この張り紙は今もMBLの図書館の壁の一番目立つところに額に入れて飾ってあります。終戦後、Katyは大学での教鞭の傍ら三崎の研究所で研究をし、Jeanは5児の母として忙しく暮らしていたようですが、1948年に帰省のため渡米した際にMBLに立寄り、当時発売されたばかりの共焦点顕微鏡を入手、日本に夫へのプレゼントとして持ち帰ります。しかし、彼は顕微鏡を受け取らず、Jeanにそれを使ってまた研究を再開することを望みました。そこで、彼女は5人の育児の傍ら、三崎研究所でウニの受精の研究を始め、世界で初めて精子の先体反応 (Acrosomal reaction )を発見、1954年に発表します。その後、お茶の水女子大学で教鞭を取っていたJeanは1978年に68 歳で亡くなり、遺骨はWoods HoleのNobska Pointに散骨されました。

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Dr. Sinya Inoue

 この話をシンポジウムで語ったのが、かの有名なDr. Shinya Inoue (井上信也博士)です。Dr. Inoueは、齢82歳ですが、未だWoods Holeの独立研究員としてラボを持って研究している顕微鏡の大家で、Princeton University 留学中の1949年に自作の顕微鏡で世界で初めて紡錘体のライブイメージを撮影、発表し、今やWoods Holeの伝説とも呼ばれています。彼が科学者を目指したきっかけは、1942年の東大在学中に、高校の恩師だったKatyとJeanに自宅に招かれて話を聞いたのがきっかけとのことです。Jeanを語るシンポジウムの最後がDr. Inoueでしたが、そのときになると、MBL中から聴衆が集まってきて、始まりは空席だらけだった会場は立錐の余地も無くなり、Dr. InoueがいかにMBLで尊敬されているかが良くわかりました。この原稿を書いているとき、MBLのホームページを開くと、トップはDr. Inoueの写真で、日本で勲章を貰った(http://www.mbl.edu/news/press_releases/2010_pr_05_26.html)という話が大きく取り上げられています。Dr. Inoueの“Jean Clark Dan, World War II, and the Acrosome”と題した講演は、第二次世界大戦前後の日本で、アメリカ出身の女性科学者がいかに苦労して頑張ったかという、本当に感動的な話でした。
  Memorial Symposiumは午前中だったので、終わったあと食堂に移動し、またみんなでランチです。そこで、FIR参加者の女の子たちの会話。Jeanの苦労に思いを馳せるかと思いきや…、「すごいよね、半年間ヨーロッパで新婚旅行だって!しかも男爵だって!」「5人も子育てしながら研究なんて絶対無理。お金持ちだからきっと沢山召使いを雇ってたのよね」「旦那も最新式の共焦点顕微鏡プレゼントされていらないなんて、信じられない金持ち!」「HIRO、日本人はみんなそんなに金持ちなの?あなた貴族?」「いいなぁ、私も日本の金持ちと結婚したい!」…いや、そもそも戦後日本に貴族制度は無いし、多分、みんな貧乏だったと思うし、Dr. Inoueが言いたかったのはそこではなくて、WW-II後の日本でいかに苦労して女性科学者が研究を続けたかってとこだと思うのですが…。イマドキの女の子は日本も海外も同じようです。残念ながら、英語の壁のため、ここら辺の誤解を解くのは自分には不可能でした。

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The last one to go

 さて、そうこうしているうちに、全ての講義と実験が終了、ついにコースも大詰めを迎え、最後に二日間のシンポジウムを行います。これは、各参加者と、コースのOB達が演題を持ち寄って学会形式で行うものです。ちなみに、OBはシンポジウム参加のための旅費(交通費、宿泊費等)は全てMBLから支給されます。今年もアフリカや南米、オーストラリア等から参加者が来ていて、米国までの旅費も全て支給されるそうです。つまり、発表を持って行く限り、毎年タダでWoods Holeまで行けるということです。FIRが、いかに力を入れて行われている会か、ここからもよくわかると思います。今年は特に2005年と2007年の参加者が多く、さながら同窓会のようでした。私は、自分の学位論文の子宮内膜症に対するクロナリティー解析を中心に話をしたのですが、オーストラリアから来たFIR OBの若手研究者にその論文を読んだと言われ、自分の論文が世界の研究者に読まれていることを知って、今更ながら世界中の科学者が研究を通じて繋がっていることを実感しました。そしてシンポジウムも終わり、最終日は、ディナーパーティーが行われ(何とロブスター食べ放題)、各セクションのコーディネーターが、全米からまた戻ってきて挨拶をします。そして、最後のLeeSide (近くのバー)。6週間のストレスが溜まったメンバーは、はじけて騒いでダンスして、とにかく踊りまくります。閉店まで踊った後は、みんな泣きながらhug and kissで、別れを惜しみます。最初は辛かったこのコースですが、途中から皆、家族のようになり、最後の別れは本当に悲しかったですね。後半、疲れがたまって、早く帰りたい、家のベッドで寝たい、まともなレストランで食事したい、なんてこぼしていた連中も、このときばかりは本当に別れを惜しんでいました。そして翌日。皆、それぞれに全米、全世界に戻り、FIR 2010は静かに終了します。

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Oregon Primate Research Center

 その後、私は、医局の後輩である立花博士がいるオレゴン霊長類研究所に向かいました。ここは、全米でも有数の霊長類の研究所で、立花先生は昨年ここでの研究でNatureに論文を掲載しています。ここでアカゲザルのICSIやSpindle transferの実際を見学しました。残念ながら、彼のボスのDr. Mitalipovは不在でしたが、立花先生は次々とラボメンバーに指示を飛ばし、実質このラボのNo.2として不在中のほとんどを仕切っていて頼もしい限りでした。その日の夜は立花先生のご家族と食事をし、翌日、立花先生は学会参加のためサンフランシスコへ、私はバンクーバー経由で日本へ帰国ということで、一緒にポートランド空港へ行って、アメリカともお別れ、のはずでしたが…。何と、ポートランド〜バンクーバー便が2時間半の遅延。とても成田便に間に合いません。立花先生にも手伝ってもらって、交渉を進めますが、どうしても当日帰国は無理なことが判明。結局、バンクーバーに一泊して、一日遅れで帰国をしました。最後までどたばたした帰国でした。

最初は来たことを少々後悔していたFIRですが、最後には本当に楽しくて、このまま帰りたくないという思いに駆られました。来年もぜひ誰か参加してほしいものです。この忙しい時期に快く送り出していただいた医局の方々に感謝して、これからの日本での仕事にもこのコースの経験を生かして行きたいと思います。